熟議による民主主義

2005年12月26日

関西の環境派議員が集まる勉強会にて、テーマは「民主主義」。
個人の利益をぶつけあう現在のリベラル(自由)な民主主義から、
じっくり話し合う熟議の民主主義へ変えてゆこうという、田村哲樹・名古屋大学助教授のお話でした。

しかし、熟議というプロセスだけを重視しすぎると、
住民に話し合わせてガス抜きをしただけで決定権は役所と議会が手放さない
現状の“エセ市民参画”と同じになってしまう恐れがあります。
熟議と論点整理は議員中心に行って、決定権を住民投票などで開放したほうが、
忙しい住民も政治参加できる現実的な方法ではないか?というのが私の考えです。

以下、本日のメモです。

051226田村哲樹・名古屋大学法学研究科助教授

民主主義=平等ではなく、平等は民主主義の条件にすぎない
古代ギリシャでは、民主主義は共通の事柄への関心(市民的徳性)に基づいていた
現代のリベラル(自由)な民主主義は、自己利益に軸足を移している
大衆社会から「脊髄反射的」な世論へ、「人から動物へ」、「反社会」から「脱社会」へ

非国家主義的な民主主義、なかでも熟議の民主主義を複数の次元で深化させる必要がある
「一種のエリート主義であり、普通の庶民には関係が無い、過剰な負担になる」という批判
「代表制(議会制)民主主義を否定するものである」という批判
しかし代表制民主主義と非国家主義的民主主義は二者択一ではなく活性化しあう関係
国家だけで高度に専門分化した現実社会に介入するのは不可能

問題解決の方法には、君主専制・市場・宗教・科学技術・正義など様々な方法がある
現代社会では、かつて当然自明であったことも選択・意思決定の対象となる
例えば、結婚をするか?子どもを作るか?誰が育てるか?・・・
「自明性」による共通基盤が失われ、各自の選択・意思決定の間で紛争が発生する
「今こそリーダーシップ」という声もあるが、長期的にはトップの自明性を押し付けるだけ
結局は、民主主義がもっとも適切な問題解決法として残るのではないか

宮台真司「他者や社会と無関係な場所に自らの尊厳を樹立する人々が出現した」
脱社会的な存在が「理由なき殺人」を起こしている
北田暁大「ルールに従わない“規範の他者”と、ルールの意義が分からない“制度の他者”」
脱社会化した現代で、民主主義によって統合を確保できるかどうか?
「脱社会的存在」を「反社会的存在」に、「制度の他者」を「規範の他者」に引き戻せるか?

国家と経済・企業の区分が通用しない社会における、アソシエーション(結社)の民主主義
公私両域において、巨大な官僚組織が個人の自由を侵害している現代
国家と大企業(市場)による決定から、市民社会のアソシエーションによる決定へ
「玉石混交のアソシエーションがあるなか、関係調整や暴走をどうするのか?」という批判
アソシエーションのみで良いわけではないが、全否定する必要はない

現代のリベラルな民主主義を乗り越える、熟議の民主主義
リベラルな民主主義では、投票や世論調査など、個人の選好が単純集計される
リベラルな民主主義における「公益」とは「私益」の総和に過ぎない
政治における私益追求が正当化され、予算獲得・公共事業誘致が激しくなる
政治とはそもそも公的な事柄についての相互的な熟慮・議論の場ではなかったか?
熟議を通じて人々の選好は変わり、利益ベースではなく理由ベースで合意形成できる

「熟議による合意は必ずしも可能ではなく、机上の空論なのではないか?」という批判
個人の選好を変えるのは簡単ではないが、制度化によってインセンティブを提供できる
誰もが政治的争点について考える能力を持っているが、制度的文脈がなければ発揮できない

議会で熟議は可能か?
議会での審議がどれほど熟議的かを測定する研究も出てきた
しかし実際の議会は理性的というよりも戦略的であり、熟議よりも駆け引き・妥協の場
政党組織が強固であればあるほど、熟議による選好の変化を受け容れられなくなる
政治エリートによる市民意見を反映しない熟議は、民主的と言えるか?

熟議・意思決定・民主的の3要素を満たすハーバーマスの「二回路モデル」
市民社会における熟議で意見形成を行い、それを議会が意思決定する
市民社会で意思決定を伴わない熟議を行うことによって、多様な意見表明が可能になる
議会は「生の世論」ではなく洗練された世論をもとに、争点に沿って意思決定できる

ランダムに選ばれた市民が数日間熟議を行う「熟議世論調査」
選挙の1週間前に学校や地域センターで全住民が熟議を行う「熟議の日」
議論の結論だけではなく、過程そのものが喜ばしい経験となることが大切
しかし過度の労働が、熟議を楽しむスローな生活を阻んでいる
労働のみに従事する人々こそ、それ以外の社会活動をしている人々にタダ乗りしている
家事・育児・介護などの無償ケア労働をも組み込んだシチズンシップへ
無条件の個人単位での給付金(ベーシックインカム)で、労働と所得を切り離すという意見もある


井坂の意見

民主主義はプロセスを楽しむのが目的ではなく、良いソリューションを見出すのが目的
プロセス重視だけでは、意思決定から主権者市民を遠ざける、体の良い中央集権になってしまう
スローな議論をするのは、本来ベーシックインカムが保障されている議員の仕事
議会で論点整理をした後、もう一度、市民側で住民投票をする方が合理的ではないか?

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