論語 2500年前のアドバイス集
2005年05月16日
月に一度行われる、林英臣先生の勉強会。
今年のテーマは「論語」。
これまでは宗教の経典か道徳集のような堅苦しいものに感じていましたが、
孔子が弟子それぞれの性格に合わせて具体的なアドバイスをしたものだということが分かり、
親しみが湧くとともに言葉がすんなりと自分の胸に染みてくるようになりました。
万人に通用する普遍の真理を説いているのではなく、
昔も今も変わらない、人それぞれの悩みや迷いに孔子が真剣に答えたものが「論語」です。
だからこそ、2500年を経た今でも人々に読まれ続けているのかも知れません。
以下、私のメモです。
050516林英臣先生「論語・為政第二」
徳をもって政治を行わなければならない
北極星が北天の中心を動かなければ、すべての星はその周囲を動くようになる
リーダーは誰よりも動くものだが、その中心に不動の徳を持たなければならない
法で国を導き、刑で国民を統制すれば、国民は法の穴をくぐり刑を免れ、恥じることがない
徳をもって導き、礼をもって統制すれば、国民は過ちを恥じて自らを正すようになる
孔子は徳治、荀子は礼治を説き、韓非子は法治を説いた
老子は先天の徳(生まれ持った長所)を活かすことを説き、孔子は後天の徳を磨くことを薦めた
「徳」という字は「直き心で行動してゆく」という意味を持っている
「礼」という字はもともと「禮」であり、「示(祭壇に肉を捧げた図)=敬う心」が豊かなこと
個人を相手にするときは性善説、集団を相手にするときは性悪説で接するほうがよい
孔子も性善説にもとづく徳治を説きながらも、政治家としては性悪説にもとづく法治を行った
孔子は15歳で志を立て、30歳で世の中に立ち、40歳で世の中の道理が分かり惑わなくなった
人の気持ちが分かったうえで正義を説かないと、誰も聞いてくれない
孔子は50歳で天から与えられた使命を知り、60歳で他人の言葉が素直に聞けるようになった
70歳になってようやく、自分の思い通りに動いても道理を踏み外すことがなくなった
「親孝行とは衣食の不自由をさせないことだ」と勘違いされている
そんなことは犬や馬でもやっていることであり、「敬う心」がなければ犬や馬と変わらない
老人介護でも、若く活躍していた頃の写真をベッドに貼り、人として敬えるようにならないか
その人が何をしているのか、何によってそれを行っているのか、どこに安らぎを感じるのか
そこを観察すれば人の本質が分かるものであり、決して隠せるものではない
行動だけではなく、動機や喜びとするところまで観察しなければいけない
「温故知新」古いことを尋ねて、そこから新しいことを知る
「稽古照今」古いことを考えて、それを今に照らし合わせながら実践する
あらゆることから自分に置き換えて学べる人は経営者・指導者として伸びる
知識を得るだけで深く考えなければ役に立たず、考えるだけで知識が不足すれば独断に陥る
「学びて思わざれば左翼になり、思うて学ばざれば右翼になる」という冗談もある
学校で得た知識と社会で求められる行動を結ぶのが「気付き」と「置き換え」
知らないことを「知らない」と素直に言えることが、本当に「知っている」ということ
幅広く聞いて、自分で確かだと思えることだけを言えば、人から咎められることはない
幅広く見て、自分で確かだと思えることだけを行えば、後悔することはない
自分の体をくぐった借り物ではない言葉・信念でない限り、他人を動かすことはできない
親孝行をし、兄弟仲良くすることも政治であり、政治家になるだけが政治に携わる道ではない
政治家になる前から、どんな動機で何をやってきたかが問われる
正義を知ってしまったからには、勇気をもってそれを実行しなければならない
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