教育方針に正解はあるか?

2005年01月19日

総合学習を見直しへ 「ゆとり路線」転換 文科省が検討 - Sankei Web

文部科学省は18日、ゆとり教育を掲げる新学習指導要領の目玉である「総合的な学習の時間」(総合学習)の在り方を見直す検討を始めた。中山成彬文科相は同日、子どもの学力低下に関連し、総合学習より国語や算数(数学)などの基礎的教科を重視すべきだとの考えを示した。
「ゆとりが足りない」と言って休日を増やし、
「学科偏重で、生きるための総合力が足りない」と言って総合学習を導入し、
挙句の果てに「基礎的教科の学習時間が足りない」と言って元に戻す・・・
無い物ねだりでコロコロと教育方針を変えてしまう彼ら自身は、
子どもの頃、いったいどんな教育を受けて、こんな風になってしまったのでしょうね?

戦略的に考えるならば、20年後の日本が必要とする人材ビジョンをきちんと描き、
そういう人材を育てるために教育方針を定めるべきなのでしょうが、
「20年後にどんな人材が必要とされるか?」など予測できない・・・というのが私の結論です。
明治時代は富国強兵で強い兵隊を養成すれば良かったですし、
戦後は企業のために猛烈に働くサラリーマンを大量生産すれば良かったでしょう。
それでは20年後には、どんな人材が日本を引っ張ってゆくでしょうか?

「コミュニケーション能力のある人」「英語を話せる人」「芸術センスのある人」・・・
それぞれが描く人材ビジョンに合わせて、多様な教育機関が多様な教育を行えば、
結果的に多様な特長を持った人材が育ち、時代の変化に合わせて誰かが活躍するはずです。
未来を無理やり予測して教育方針を一本に定めるよりも、よほど現実的だと思うのですが・・・

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  1. もう気付こう、文科省なんか不要だ [ブログ時評08]
    ブログ時評
    2005年01月23日 02:05

     学力低下が言われる中、02年度に導入されたばかりの「総合的な学習」見直しを中山文部科学相が表明したことを受け、2月の中央教育審議会で具体的な検討が始まりそうだ。文科省が十数年掲げてきた「ゆとり教育」志向の看板が音を立てて崩れていく。  「おぃおぃ・・・


コメント

  1. sasa
    2005年01月23日 14:25

    はじめまして。大学で就職講座を担当しているsasaと申します。
    漢字の書けない大学生、計算のできない大学生に日々接しています。

    たまたまexciteの記事から辿ってこのブログにたどり着きました。
    井坂様の主張への疑問点をコメントさせて頂きます。

    井坂様の主張は
    20年後の日本が必要とする人材ビジョンを描くことは
    不可能(予測不可能)だから、
    教育方針を一本化することは現実的ではない
    と理解しました。
    しかし、人材ビジョンを描けないということと
    教育方針の基本方針を定めることは別問題であり
    両者をつなげて結論づけるべきではありません。

    「20年後にどんな人材が必要とされるか?」
    という問いは、確かに明確な答えの存在しない
    点で予測不可能です。
    しかし、だからといって、教育方針は
    定められないわけではありません。
    教育方針は、具体的に発生している問題点を
    解決するために決定する性質のもののはずです。

    「読み・書き」がろくに
    できない子供が大量発生している「現実」が
    目の前にあるのであれば、それに対処する教育方針が
    あったって、別に悪いわけではありません。

    また、「多様な教育機関が多様な教育を行う」
    という井坂様の主張は、耳障りは良いですが、
    多様性の内実については、誰も責任を取らない点で
    危険性が大きいでしょう。
    「多様性」という用語を
    安易に使いすぎている印象を受けました。

    総合学習より国語や算数(数学)
    などの基礎的教科を重視すべき
    との文部科学省の見解のほうが、
    今回の件については、井坂様の見解よりも
    具体的な成果が期待できる点で
    「現実的」だと思いました。

  2. YUM
    2005年01月24日 00:13

    三人の子どもを育てただけのただの主婦から一言いわせてください。

    教育方針を決定する立場の方々:文科省の方、先生、親など大人たちは
    自分が子供だった時を思い出して下さい。
    どんな指導を受けた時に
    「勉強しよう」「勉強が楽しい」「学びたい」と思ったか?
    どんな指導を受けた時に「いやだ」と思ったか?

    強制的に覚えさせられることはなかなか覚えられないのに、
    自分の興味のあることは際限なく覚えられたなんて体験、ありませんか?

    教育は子供の自立を助けるものだと思います。
    自分で考えて行動できる人間を育てるのが目標です。
    そして、自立した人間はいつの時代にも必要とされる人間像です。
    (少なくとも、民主国家である限りは)
    ですから、20年後に必要とされる人材ビジョンが不明だとは思いません。

    井坂さんが「多様性」とおっしゃることの内容すべてに賛成ではありませんが
    文部科学省が指導要領を「現実に即して」
    短期間に右に左に方針変更するのは
    いたずらに学校などの教育現場を混乱させるだけだと思います。
    自立した人間を育てるというのが最終目標であるなら
    そこまで到達するルートはいろいろあってもよいという意味で
    「多様な教育方法」があって、親が選択できれば良いなと
    二児の父親になられたばかりの井坂さんはお考えなのでは・・・?

    いずれにしても、教育は詰め込み主義では成果は上がらないでしょう。
    読み書きそろばんをしっかり教え
    しっかり身体を動かして遊ぶことを教えれば
    子どもは自分の興味のあることを探し出し
    身につけ、学びたくなるものだと思います。
    そして、願わくば、自分の意見をはっきり表現でき、
    他人の意見に耳を傾けられるように育てられれば・・・

  3. いさか
    2005年01月24日 01:12

    真剣な議論をありがとうございます。
    私は教育現場におられるsasaさんの問題意識を否定しません。
    周囲には同様の意見の方も多く、「読み書きソロバン」の必要性は分かります。

    それでも私がこのような意見を書いたのは、2つの理由があります。

    1、教育政策には10~20年のタイムラグがあるという事実
       いま基礎教科重視の教育方針に転換しても、漢字・計算のできる大学生は10年後、
       漢字・計算のできる社会人は15~20年後まで現れません。
       そのときに相変わらず「漢字・計算ができない」ことが問題かどうか?
       それが私には「予測できないこと」に感じられるのです。

    2、基礎的教科を学べば素晴らしい人間になるのか?という疑問
       ゆとり教育以前の世代、かつて「読み書きソロバン」をきちんとやった世代が、
       今の日本社会を担っているはずです。
       ところが、この閉塞感はどうでしょうか?
       私は、「読み書きソロバンのできる子を増やす」ことと、
       「より良い社会をつくる」ことの関連性に疑問を持っています。

    教育に責任を持つのは「親」だと考えます。
    親が責任を持って我が子の教育方針を決めるべきです。
    親の集合体としての「地域」である程度の合意が得られるなら、
    地域が責任を持って子ども達の教育方針を決めれば良いと思います。

    さらに大規模な集合体である「国」でも合意が得られる可能性はありますが、
    そこまで大規模だと、地域の多様性・親の多様性をフォローしきれないように思います。
    「国が教育に関して責任を取る」ということが可能かどうかも、私には分かりません。

    そして、「教育政策の失敗」について最終責任を取らされるのは、子ども達自身です。

  4. いさか
    2005年01月24日 01:19

    YUMさんもコメントありがとうございます。
    「自ら考えて行動できる人間」というのは、確かに普遍性のある人材ビジョンだと思います。
    発展途上国に基礎教育を普及させる意義はそこにあります。

  5. sasa
    2005年01月25日 00:20

    井坂様の主張と私の意見には相違点があります。
    というか、正反対なのかもしれません(笑)。
    ここでやめにしてもいいのですが、
    井坂様は公職の身にあり、様々な政策を今後も
    実践していく方ですので、理屈に合わないと感じた点は
    ぶしつけながら、真正面から議論したいと思います。

    まず1点目について。
    井坂様の主張をまず引用します。
    (引用はじめ)
    そのときに相変わらず「漢字・計算ができない」
    ことが問題かどうか?それが私には「予測できないこと」
    に感じられるのです。
    (引用終わり)

    一番の疑問は、予測は出来なくても
    いっこうに構わないですが、
    現時点で読み書き能力が必要と判断されるなら
    「今すぐ」読み書き能力を子供に与えるべきではないか?
    という点です。
    この点は、井坂様はどうお考えなのでしょうか?
    読み書き能力の低下は問題だとお考えですか?

    次に2点目について
    (引用はじめ)
    かつて「読み書きソロバン」を
    きちんとやった世代が、
    今の日本社会を担っているはずです。
    ところが、この閉塞感はどうでしょうか?
    私は、「読み書きソロバンのできる子を増やす」ことと、
    「より良い社会をつくる」ことの関連性に
    疑問を持っています。
    (引用終わり)

    社会に閉塞感が漂っているのは、
    読み書きソロバンを学んだからではありません。
    両者は別現象で無関係です。
    問題の中核は、
    読み書き能力が得られなければ、不幸ではないか?
    という点です。
    読み書き能力さえあれば、立派な人間になるとは
    誰も思ってはいないでしょうし、
    読み書き能力さえあれば、社会が良くなる
    と言っているわけでもないでしょう。
    良い社会は別の政策ででも実現すればいいわけで
    それとは別に、
    読み書きソロバンは、現時点では必要なので
    しっかり教えましょう、ということで
    いいのではないですか?

    ここからは推測ですが、井坂様は
    読み書き能力の必要性が分かるといいながら、
    実のところ、読み書き能力は不要になると
    思っている印象を受けます。

    3点目、教育に責任を持つのは「親」だという点について

    「地域の多様性・親の多様性」なる概念
    はクセモノです。井坂様は多様性は全面的に肯定
    していますが、そんなに良い面ばかりではないはずです。

    たとえば、井坂様は、自分の住んでいる地域の
    多数派が某宗教団体の信者で固められており、
    その宗教に基づく学校教育にする、と地域の
    多数決で決定した場合、自分の子供をその
    学校に通わせますか?
    地域の決定が、必修科目を「たこ揚げ総合学習」
    にして、算数を教えない学校があったら、
    どうですか?

    やはり、国家による統一的画一的教育方針の決定
    があってこそ、全国平等な教育サービスが担保される
    のであって、その面でのメリットも考慮すべきでは
    ないですか?

    最後に4点目 教育政策失敗の責任所在について

    地域が責任を持って子ども達の教育方針を決めれば良い、
    と井坂様は言いますが、地域教育に失敗した場合は
    一体誰がどのように責任を負うのですか?
    むしろ責任の所在が不明確になるのではないですか?

  6. いさか
    2005年01月25日 01:35

    疑問点の1・2につきましては、お察しのとおりです。
    国語算数の必要性は分かりますが、それ以外にも必要なものは多いと考えています。
    コミュニケーション能力、課題設定能力、お金や政治についての知識・・・
    これらのどれが欠けても、読み書き能力が欠けているのと同じぐらい
    子どもにとっては不幸なことだと私は思います。
    そして、今の日本の教育でこれらが充分に育まれているとは思えません。

    疑問点の3・4につきましては、「地域」を「国家」と言い換えたときに
    そっくり同じ疑問が国家に対しても湧いて来ます。
    合意ができれば地域でも国家でも教育方針を定めればよいですが、
    そうでなければ無理に教育方針を一本化すべきではありません。
    特に、国家で教育方針を一本化してしまった場合、
    その方針に納得がいかない親は、現状では私立学校を選択するしかありません。
    これは、ある程度の経済的余裕がなければ許されない選択です。

    sasaさんの仰るとおり、私とsasaさんの教育に対する考え方は異なります。
    必須科目に対する考え方も異なるようです。
    私とsasaさんは、それぞれ子どもを異なる教育方針の学校に入れたほうが良さそうです。
    そのためにも、国家がロクな議論も戦略もなしにコロコロと教育政策を変え、
    それを一本化された教育方針として全国の学校に押し付けてほしくないのです。(笑)

  7. sasa
    2005年01月25日 23:55

    sasaです。今日初めて井坂議員のプロフィールを見ました
    (←議論する前に読めよって感じですが)。
    おー、井坂様も戸山高校でしたか。しかも
    私の2学年後輩(先輩風を吹かせるつもりは
    ありません)。

    井坂議員の経歴には親近感をもちましたが
    (私も1浪しましたし(笑))、
    私は井坂様の主張内容には反対です。
    論点がはぐらかされているので、
    再度、争点を明確化したいと思います。

    (引用はじめ)
    国語算数の必要性は分かりますが、
    それ以外にも必要なものは多いと考えています。
    コミュニケーション能力、課題設定能力、
    お金や政治についての知識・・・
    (引用終わり)

    この点は、当然のことです。
    私も同意見ですよ。
    私は、読み書き能力が必要だと言っているだけで
    他の能力が不要だと言っているわけではありません。
    そんなことが聞きたいのではなく
    現時点で読み書き能力を教えることが不要だと思うのか
    どうかを聞いているのです。論点をずらされると
    議論の意味がなくなります。
    井坂様は「必要性わかる」といいつつ、「不要になる」
    というわけですから、「どっちやねん?」と
    つっこみたくなります。

    (引用はじめ)
    そうでなければ無理に教育方針を一本化すべきではありません。
    (引用終わり)

    教育方針を一本化することの是非はしばらく措きます。
    実質的な見地から考えてみると
    地域社会が決定しようと国家が決定しようと
    「妥当な内容」なら別にどっちだって良いのではないですか?

    仮に、井坂様が、現時点では「読み書き能力」教育が必要だ
    と言うのであれば、今回の文部科学省の措置は、妥当な方向に
    向かったものとして歓迎してもよいはずです。
    他方、読み書き能力は不要だ、というのなら、井坂様が
    文部科学省の措置を批判するのはよくわかります。

    (引用はじめ)
    必須科目に対する考え方も異なるようです。
    私とsasaさんは、それぞれ子どもを異なる教育方針の
    学校に入れたほうが良さそうです。
    (引用終わり)

    人間一人一人、そりゃあ、考え方が違いますから
    井坂様と私とで教育観が異なるのは、当然のことです。
    しかし、私は教育観が違うぐらいで井坂様と
    別の学校に入れようとは思いませんよ。

    学校には多くは望みませんが、
    せめて「読み書き」ぐらいはちゃんと教えてください
    という
    その程度の要望が受容されれば、それでよし、
    というのが世論なのではないかと認識しています。

    (引用はじめ)
    その方針に納得がいかない親は、
    現状では私立学校を選択するしかありません
    (引用終わり)

    現状で私立学校を親が選択しているのは主に
    1 治安がよく
    2 学力をつけてくれるからです
    私立学校の教育方針に共鳴したから
    私立に行かせているわけではないでしょう?
    (少数は共鳴者もいるでしょうが・・・)
    教育方針による学校選択の自由、という
    観念的理念の前に、
    学校の秩序を取り戻し学力をつける
    教育を公教育で取り戻す「現実問題」に
    目を向けるべきではないですか?

    教育政策の一本化について
    いろいろ、井坂様の説明を聞いているうちに
    わかってきました。
    井坂様は「無理矢理の」国家による教育方針の一本化が
    問題といっていますが、論理の全体像から推察すると
    どうやら、国家による教育方針の一本化自体が
    気に入らない(=反対だ)という立場と解釈しました。
    そうだとすると、
    最初の説明は何だったのでしょう?
    最初は、戦略的に人材ビジョンを立てて国家方針を立てろと
    言っていたはずです。矛盾していませんか?
    つまり、井坂様自身は「予測不可能」といいながら、
    国家には戦略的に人材ビジョンを立てろ!とおっしゃる。
    結局は、国家による教育方針の一本化自体が不満だから
    すべて地域の多様性にゆだねろ、という論旨です。
    井坂様の説明は、できるかぎり丁寧に読み込みましたが、
    この辺の整合性はとれていないと思います。

    以上です。
    政治家の「言葉」は論理性と説得力が生命線だと思っています。
    井坂様の論理展開には、正直なところ、少々失望しています。
    私自身の見解が絶対的なものとは思っていませんが
    (←良くない点があれば忌憚なく挙げてほしい)
    反対意見であっても井坂見解が、尊重に値する意見かどうかを
    試してみたく、しつこく論争に持ち込んでいるつもりです。
    このように、
    右も左もなく(←無党派といいますが、理念的には井坂様は
    かなり左と見えます)
    公然と公的な議論を展開することには意義があると思い、
    政治家としての井坂議員の説明を期待しているのです。
    井坂様自体に好悪の感情はありません(笑)。

  8. いさか
    2005年01月26日 01:23

    「失望」「左」「どっちやねん!」など、かなり物騒な雰囲気になってきましたが、
    高校の先輩とあらば紳士的に議論を続けさせていただきます。

    論点を端的に示していただき、ありがとうございます。

    論点1:現時点で読み書き能力を教えることが不要だと思うのかどうか?

    私は「現時点で読み書き能力が不要だ」とは書いていません。
    「必要だが他にも同等に必要な能力がある」と書いています。
    現時点で読み書き教育をまったく施していないのなら大問題ですが、
    「読み書き以外の能力も育てよう」という方針を撤回して、
    再び昔の「読み書き偏重」もしくは「読み書きオンリー」になることには反対です。
    「読み書き能力は不要だ」と考えているから今回の措置を批判しているのではなく、
    「読み書き以外の教育も削るべきではない」と考えているから批判しています。

    論点2:国家による教育方針の一本化は是か非か?

    『戦略的に考える“ならば”、20年後の日本が必要とする人材ビジョンをきちんと描き、
    そういう人材を育てるために教育方針を定めるべき“なのでしょうが”、
    「20年後にどんな人材が必要とされるか?」など“予測できない”・・・というのが私の結論です。』とブログ本文に書いてあります。
    「戦略的に考え人材ビジョンを予測し教育方針を一本化しろ!」とは書いていません。
    「理想的・戦略的手順はそうだが、実際には不可能だ、無茶だ」ということです。
    教育方針の一本化が不満なのではなく、出来ないことを無理にすべきではないという論旨です。
    理想的・戦略的手順に従って教育方針が一本化できるのなら、していただいて構いませんが、
    教育方針がコロコロ変わる現状は、とてもそのような手順に則っているとは思えません。

    なお、私立学校に入学させる理由についてはsasaさんの認識が妥当だと思います。
    この例を議論の中に持ち込んだのは、ふさわしくありませんでした。
    治安の良し悪しは今回の措置とまったく関係ありませんが。

    sasaさんと私の違いは、読み書き教育もそれ以外の教育も必要であるとしながらも、
    sasaさんは「読み書き教育はより基礎的で最も必要性の高いものだ」と考えており、
    私は「それ以外の能力もバランスよく育成してほしい」と考えていることでしょうか。
    どちらが正しいとも思いません。
    「教育方針に正解はあるか?」というのが、そもそもブログ本文のタイトルですから・・・

  9. いさか
    2005年01月26日 01:33

    ふぅ・・・毎晩ここで鍛えられてます・・・

  10. ふ じ た
    2005年01月26日 19:37

    なんかすごいですね。
    正しい教育を見つけ出すのは本当に大変ですね。
    俺もこれから少し教育について考えてみたいと思います。

  11. sasa
    2005年01月27日 00:08

    sasaです。
    関西人に憧れて「どっちやねん?」と使ってみたのは
    私のミスでした。すみません。そんなに物騒な
    ニュアンスがあるとは思いませんでした。

    ただ、議論に関して「物騒」とレッテルを貼られて
    自分は「紳士的に」という態度は、うーん、ちょっと
    心外です。ちょっと嫌みを言えば、さすが、政治家!
    と言いたくなります(←こういうことを言うから、よくない)。

    粗野な性格であるのは、申し訳なく思いますが
    議論内容については、誠実に問題提示してきたつもりです。
    正しい教育は何かを「決めつけ」るために、議論を
    挑んだのではありません。
    自説とは肌の合わない見解でも、筋が通っていれば
    認めるぐらいの見識は持っているつもりです。
    井坂見解は、理由にならない理由があったり、
    無関係な現象をむやみにくっつけたり、
    論理的に納得できない点があるから、
    それを質問しているのです。
    井坂様は公職の身にあり、質問・議論すること自体に
    公的意義があると思ってここまで「しつこく」
    書き込みしているのです。
    まあ、乗りかかった船で、一定の結論が見えるまで
    やらないと、気持ちが悪い、というのもありますが。

    まあ、今回でもう最後にしたいと思います。
    他人のHP荒らしのようになっていて、
    申し訳なくなってきましたし。

    論点1について
    読み書き能力について「全く教えない」とか、
    逆に、「読み書きオンリー」とか「偏重」とか、
    そういう極論を挙げるのは、おかしい。
    文科省は「重視すべき」と言っているだけです。
    井坂見解は、随分な過剰反応に見えます。

    「読み書き以外の教育も削るべきではない」と
    いうのなら、最初からそう書けば、それでおしまいです。
    要は、科目の程度問題であることを、最初のブログ本文から
    呈示すれば建設的批判論として私も納得できたはずです。
    今後は予測不可能だとか、現実は教育方針設定が無茶だとか、
    妙な論理構成は本筋とは外れていて、論旨不明確です。
    好ましくないと思います。

    論点2について

    理念的には国家による教育方針決定自体を認めながら
    現実的には認めずに批判するというのは
    まるで、「心臓はえぐりとってもいいが、
    血を流してはいけない」といった
    ベニスの商人物語のようです。
    批判するがための理屈にすぎません。
    この点についてはこれ以上言及しても
    あまり有意義な内容にはならないと思うので
    これで終わりです。

    補足
    井坂見解に内包される原理的欠点を論点として
    提示しておきます。抽象議論は敢えて回避するために
    今までは提示しませんでしたが、
    もう議論するつもりはないので(←疲れた)
    最後に論じておきます。

    井坂見解は国家による教育方針決定自体を
    教育の多義性を理由に批判しているのか、
    国家による教育方針決定を一定程度で
    現実的に可能としながら、手続のまずさを
    批判しているにすぎないのか、その点が
    はっきりしていません。
    井坂見解自体が揺れているように読めます。

    後者であれば、原理問題は持ち上がりません。
    国家による教育方針決定が可能であれば、
    一定程度で教育の画一性を担保できますから
    ほぼ私と同意見(程度の違い)になります。

    前者であれば、原理問題が持ち上がります。
    国家による教育決定自体を、教育の多義性を実現する
    ために、否定するのであれば、
    同じ理由で、地域による教育決定だって、
    親は否定できることになります。
    これに対する教育の画一性による「歯止め」が
    いかなる理由でかけられるのか?
    原理的には、理由は存在しなくなります。
    教育の多義性を完全肯定する立場では
    個人個人による教育の実現こそ最高状態になるから
    です。これが、
    理念的に井坂見解を「左」と判断した所以です。
    (なお、念のため言っておきますが、これは、
    主観的に井坂様がどう思っているかとは別問題です。
    井坂「見解」を制度化した場合の原理問題と
    捉えて頂きたい。)

    以前に井坂様は、「地域」を「国家」に置き換えると
    そっくりそのまま云々と仰っていましたが、
    それは、歴史的沿革を無視した暴論です。
    教育の私事性を否定したところに
    国家による公教育の実現があったわけで
    教育の多義性に対する「歯止め」としての意義は
    いまだに薄れていないのです。
    井坂様が、それでも教育の多義性を完全肯定するのなら
    それは、本当に立場の違いになりますが。

    以上です。ほんとにこれで終わりです。
    政治家は言葉が生命線だと思うので、責任ある言論活動を
    今後頑張ってください。

  12. いさか
    2005年01月27日 00:57

    再び元のブログ記事で言いたかったことを端的に書きます。

    「国はコロコロと教育方針を右往左往させている。
     定見が持てないのは、将来必要とされる人材像が予測できない現代において仕方ない。
     そういう場合は、色々な人材を育成しておいたほうが、リスク分散されて良い。」

    あとの判断は、ここまで読んで下さった熱心な読者の皆さんに委ねます。

  13. ばんの
    2005年01月28日 19:23

    ご無沙汰しています。ばんのです。
    どういう人材を育てていきたいか、それを教育としてどのように具体的に行なうのか、ってすごく大事です。
    手段に固執して目的が明確でないので右往左往するのかなと思います。
    簡単に意思決定できることではないと思いますが、頑張ってほしいですね。

  14. leprechaun
    2005年03月05日 12:24

    こんにちは。sasaさんの理屈はちょっとおかしいと思います。

    >最初は、戦略的に人材ビジョンを立てて国家方針を立てろと
    言っていたはずです。矛盾していませんか?
    つまり、井坂様自身は「予測不可能」といいながら、
    国家には戦略的に人材ビジョンを立てろ!とおっしゃる。
    結局は、国家による教育方針の一本化自体が不満だから
    すべて地域の多様性にゆだねろ、という論旨です。

    確かに「国家戦略は無意味といいながら(多様性を)国家戦略とする」のは矛盾ですが、井坂さんの意図は、国家戦略そのものが無意味ということでなく、一本化するのが良くない、と言う事でしょう。読み間違えているのは、どちらかというとsasaさんの方ではないでしょうか。

    政治は学問ではないのですから、学問の方法論を持ち込むと往々にしておかしな事になる気がします。

    1教育者の観点から私見を述べさせてもらえば、基礎学力については、ある程度で十分と思います。常用漢字が読めない書けない、では社会人生活ができませんから。しかし過去の詰め込み教育の復活はデメリットが大きいでしょう。なぜなら井坂さんが指摘するように、現在日本の停滞は「詰め込み教育」との関連が強く疑われるからです。

    詰め込み教育の弊害とは、問題解決能力の欠如です。問題には必ず解法があり、それを習熟すれば良い、とする思考法では、解法のない、新しい状況には対応できません。その結果過去に成功した解法を繰り返すのみとなり、社会全体が保守化してしまうわけです。

    それを打破するには、問題解決能力を育成することが必要と私は思いますが、それが出来ないならば、せめて自主性に任せ、多様性を維持するべきでしょう。

  15. いさか
    2005年03月06日 22:17

    コメントありがとうございます。
    理想の教育を真面目に議論しようと思えば、
    「どういう教育を施すと、どういう大人に育って、どういう活躍をするのか?」
    というサンプルを何十年のスパンで比較実験してみないといけませんね。
    私自身も、詰め込み教育が本当に悪いのか、一定は必要な基礎なのか、
    本当のところは自信を持って発言できないのです。






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