小田実さんが語る終戦の舞台裏
2004年08月16日
留学生との交流合宿「アジアハウス」の最終日は、平和運動の第一人者でもある
作家の小田実さんをお招きして、8月14日の大阪空襲と終戦の舞台裏についてお話ししていただきました。
1945年8月、当時の日本政府首脳は広島・長崎の原爆を見てポツダム宣言受諾を決めながら、
自分たちの体制保護のために「国体の護持」を終戦の条件に掲げて交渉を長引かせ、
しびれを切らしたアメリカが8月14日に大阪に追加の空爆を行った・・・という歴史的事実。
「8月14日に大阪で死んだ人々は一体何のために死ななければならなかったのか?」という怒りが、
当時その空襲の真下にいた小田実さんの反戦平和活動の原点だということでした。
以下、私のメモです。
040815小田実さん「アジアにおける平和の動き」
学生時代にフルブライト留学生としてアメリカに渡った
60年代にお金を貯めてヨーロッパ・アフリカ・中東・インド・メキシコなどを巡った
70年代に北京経由で北朝鮮に入った
85年にはウイグル・チベット・朝鮮国境など中国を隅々まで周った
日本政府が正式に降伏したのは8月15日だが、大阪の戦争は14日に終わっていた
1945年8月15日、京橋OBP辺りにあった兵器工場を目標に大空襲があった
1トン爆弾と一緒にまかれた米軍のビラには「日本政府は降伏し、戦争は終わりました」
結果的に大阪空襲は第二次世界大戦における最後の戦闘となった
1945年3月から大阪は連日のように空襲された
大規模な空襲は8回、小規模なものを含めると50回以上の空襲があった
アメリカ留学の際に「自分の受けた大阪空襲はどう報道されたのか?」と調べた
ニューヨークタイムス日曜版の片隅に、B29から撮った写真つきで掲載されていた
ニューヨークタイムス紙は一日130ページ、他に日曜版や特集など別冊がつく
アメリカは1945年には平時生産に戻し、すでに終戦モードに入っていた
日本が必死で戦っていた頃、アメリカの新聞にはファッション広告が溢れていた
黄燐爆弾を開発した記事や、黄燐爆弾が飛行機内で爆発した事故の記事もあった
その黄燐爆弾を日本の郡山に落とした話は一切報道されていない
自国のことは報道しても、相手国のことは報道しないのが戦争の本質
大阪空襲の現地はまさに地獄だったが、アメリカの報道ではそれが感じられない
今、イラク戦争の報道はファッション広告の隣に掲載され、まったく同じ状況
ナパーム弾の原型である「ゼリー状ガソリン」が初めて使用されたのも大阪
降伏すると分かっていたドイツ軍に対して「ゼリー状ガソリン」が実験された
開発した武器を試すため、勲章を手にするために無意味な攻撃が繰り返される
「日本の家は紙と木で出来ているから、すべて焼き尽くせ」という無差別爆撃戦略
日本は飛行機を飛ばす燃料もなく、高射砲を撃てばすぐに爆撃目標とされる
高度1000mから無数の爆弾をばらまく行為は「戦争」ではなく「破壊と殺戮」
今、イラクで行われている爆撃も、まったく同じ状況
広島・長崎の原爆投下を見て、ついに日本はポツダム宣言受諾を決めた
8月12日・13日の2日間、アメリカは空襲を見合わせた
日本政府は「国体の護持」を終戦の条件に掲げたがアメリカ政府は回答しなかった
「天皇が助かれば自分たちも助かる」という側近の政治家たちの計算があった
8月12日の米紙にはトップニュースは「日本再建計画に天皇を残すことを決定」
当時の日本政府はこれらのニュースを知り、すでに自分たちの安全を確保していた
「天皇が国民のためを思って降伏を決めた」という美談は事実と異なる
翌13日の米紙には「日本政府の降伏が遅いので、再度の大空襲を行う」
日本政府の決断が遅れために8月14日大阪・徳山の2都市に6000トンの爆弾が落とされた
空爆の時にまかれたビラの言うとおり「すでに戦争は終わっていた」
8月14日の空爆で死んだ人々は、いったい何のために殺されねばならなかったのか?
「都市を焼き尽くす戦略」を開発し、無差別爆撃を指示したカーティス・ルメイ
戦後の回想で「もし負けていたら、自分が戦犯として裁かれていただろう」
第二次世界大戦はアメリカにとって「正義の戦争」なので、相手国は「戦犯」
その後、ベトナム戦争時にカーティス・ルメイは再び同じ戦略をとる
戦後日本は、航空自衛隊をつくった功績でカーティス・ルメイに勲章を与えた
民主主義に平和主義が結合したものが日本国憲法
民主主義だけではアメリカのようにイラク空爆を平気で行う国になってしまう
ドイツ基本法4条は「市民個人の権利として良心に基づいて兵役拒否できる」
戦後どの国も出せなかった「世界平和宣言」を唯一表明したのが日本国憲法
平和憲法を書いたのはアメリカだが、「戦争は終わりにしたい」という気持ちは同じ
1945年8月15日、焼け跡に立ち尽くして「やっと終わった」という感覚を大事にしたい
質疑応答
Q,アジアと日本が歴史の共通認識を持つにはどうしたら良いか?
A,せっかちに共通認識を持とうとしてはいけない
「攻めた側と攻められた側の認識は違う」ということを知ってつきあうのが大事
互いの認識を語る前に、まず自分の国の歴史を知らなければならない
Q,サッカーのアジア杯で中国人サポーターが日本チームにブーイングした件は?
A,反日教育は昔から行われているが、今回のような件は初めて
直接の原因は小泉首相の靖国発言だということを、日本のマスコミは報じていない
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