三菱がダイムラーに見放された理由

2004年05月04日

「三菱自動車がダイムラー社に追加支援を打ち切られた事件は何を意味しているのか?」
という村上龍さんの問いに答えて、証券の専門家が興味深い意見を述べていました。

JMM 村上龍メールメディア

三菱証券 IRコンサルティング室長:三ツ谷誠

市場は近視眼的な判断を常に行うものではなく、信念が形成されてあれば、中長期的なビジョンをも支える制度なのです。今回のメディアの評論はその意味では誤っています。
ただ、市場が短期的な利益を追うと「される」のは、情報もなく説得もなく、その意味では常に短期的なスタンスに立っておく必然性があるからで、市場を中長期的な資金提供の場として育成していく責務は、寧ろ発行体(企業)の側、経営者の側にこそあるのだと思います。

これって政治家も同じことなんじゃないかな?
短期的な利益を求める有権者に対して「ドブ板選挙」と呼ばれるサービス合戦をしなければならないのは、
政治家の側から判断材料が公開できてなかったり、長期的ビジョンが示せてなかったりするのが理由かも。

上記メルマガのホームページには最新号しか掲載されないため、
以下に三ツ谷誠さんの全文を掲載しておきます。

====質問:村上龍============================================================

Q:508
 筆頭株主であるダイムラー・クライスラーが三菱自動車への追加支援の打ち切りを
発表しました。このニュースは何かを象徴しているのでしょうか。

============================================================================

 ■ 三ツ谷誠  :三菱証券 IRコンサルティング室長

「経営者資本主義から市場資本主義の世界への変質」

 本件の背後にあるものは、いよいよ明らかになるつつある資本主義の変質だと感じ
ています。それを、「経営者資本主義」の時代が確実に過去のものとなり、既に世界
は機関投資家資本主義の時代に、より本質的には市場資本主義の時代に変わった、と
表現してもそれほど誤りではないでしょう。

 新聞報道でも、最終的にダイムラーにおいてシュレンプ社長の意思を越えて既定路
線を覆したのは、監査役会であり、その監査役会の議論に決定的に影響を与えたのは
株主総会において浴びせられた株主の厳しい見解(或いは推察ですが、総会以外でも
IRの回路から寄せられたであろう株主の厳しい見解)だったとされています。

 中長期的なスパンでの経営者の判断が(勿論、株主と経営者には動機付けの違い、
利害の相克があり、経営者の決定は基本的には経営者の利益極大化を目指す場合も
あるでしょうが)、より短期的なスパンでの投資回収を求める傾向を持つと「され
る」株主の支持を受けられず、見送られる、廃案になる、その典型的な事例として
本件を考えることは可能でしょう。

 いまなお、グループ間相互の株式持合いの傾向が強く残り古き良き経営者資本主
義の土壌を引き摺る三菱グループが、形態こそ違え本質的には同様な土壌にあると
考えられていたドイツの、しかもダイムラーの、そのような意味での変質に気付か
ず、寝耳に水のような感覚(或いは本能寺の朝に水色桔梗の幟を見た信長の感覚)
を覚えたのは所以なきことではないでしょう(勿論、確信的な行動としてダイムラー
やシュレンプ氏の動きを捉える視点での報道も幾つかなされており、その点は注意
すべきだと思います)。

 ところで、現時点における三菱自動車の困難さは、ダイムラーが提示した三菱自
動車再建のための投資額7千億円が一人歩きしていることですが、この困難さを導
いたものは、やはり三菱自動車が市場に対し誠実に透明性高く向き合って来なかっ
たことの帰結だと考えています。

 市場には提示されたこの金額の妥当性を検証するだけの情報がなく、逆にダイム
ラーは市場が手にできない情報まで精査する立場にあったと考えられており、その
意味では、ダイムラーの提示した金額は、不可侵の重みを持って流通してしまう訳
です。

 それが、嫌ならば、三菱自動車としては、可能な限り投資家の判断に資する情報
を開示せざるをえず、しかし、後手に廻ってそれを行うことの困難さが横たわるこ
とになります。

 実際、本件はそのままリコール問題で指摘された隠蔽問題と同じ根に問題の起源
を持つものとして考えるべきでしょう。つまり、開かれた世界では自らを開くこと
が重要になるのです。それは世界に対する適応の問題です。
 
 さて、機関投資家資本主義の世界では、或る程度「顔の見える」機関投資家の集
団を相手にして、その集団が例えば7千億円の妥当性についてそれぞれの判断が可
能な情報を提示することが重要ですが、更に一歩進んだ世界、市場資本主義の世界
では、市場がその金額の妥当性についてそれぞれの判断が可能な情報の提示が必要
になると考えられるでしょう。つまり、そのコンセンサスが、特定の機関ではない
としても、或る一定の価格帯における安定株主を作り出すのです。

 レギュラシオン理論の担い手の一人である、A・オルレアンはその著書『金融の
権力』に次のような市場の定義を行っています。

「金融共同体が債務を集団的に管理するために手に入れた自律的制度、それが市場
なのだと理解される、また、価格とは、共有された信念にほかならず、われわれは
これを共有信念と呼ぶ。」(前掲書 P21)

 発行体(企業)から見れば情報の発信とは、市場にこのような意味での共有信念
を作り出す手段と考えられます。そのような共有信念に支えられれば、株価は一定
の水準で安定し、その株価は経営に対する市場の信認を顕していると考えられます。

 という意味では、実はシュレンプ氏もまた、自身の経営判断に対し後ろ盾となる
市場の共有信念を(或いは具体的な株主を)、作り出すことに失敗していた、とい
うことも言えるでしょう。

 つまり、市場は近視眼的な判断を常に行うものではなく、信念が形成されてあれ
ば、中長期的なビジョンをも支える制度なのです。今回のメディアの評論はその意
味では誤っています。ただ、市場が短期的な利益を追うと「される」のは、情報も
なく説得もなく、その意味では常に短期的なスタンスに立っておく必然性があるか
らで、市場を中長期的な資金提供の場として育成していく責務は、寧ろ発行体(企
業)の側、経営者の側にこそあるのだと思います。

                三菱証券 IRコンサルティング室長:三ツ谷誠

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『金融の権力』 アンドレ・オルレアン著/坂口明義・清水和巳訳/藤原書店
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